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2016年8月10日 (水)

陛下には基本的人権もないのか?

 私は、天皇家に対して尊崇の念を持って今日に至っている。その気持ちは戦前・戦後における昭和天皇時代から今上天皇である平成天皇まで、揺らいだことは一度もない。

 今回の天皇陛下のお言葉に、目頭が熱くなった。政治家は、見て見ぬふりをし、知っていながら知らぬふりをしていたに違いない。これまで歴代の内閣は、天皇陛下のご健康やお気持ちについて、全く忖度してこなかった。気が付いていたとしても、憲法や皇室典範の規定があるからと、現在に至っているのではないか。それに、宮内庁は何をしていたのか?本来ならば、宮内庁が陛下をお守りする役柄なのに一番卑怯だ。責任逃れが見え見え。陛下は、今日まで‟私”を捨てられ‟公”のみを中心に努力してこられた。これは多くの国民が認めるところだろう。お言葉の最後に「国民の理解を得られることを、切に願っています」と結ばれた。国民の一人として申し訳ない気持ちがいっぱいだ。

 太平洋戦争の敗戦によって、新しい憲法や皇室典範が1947年(昭和22年)5月3日に施行され、これによって天皇陛下は人間天皇になられた訳である。でも、国民は人間天皇になられたと思っていたが、実際、天皇陛下にとってはそうではなかったのだ。憲法第1条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である」と規定されている。そうは言うものの、天皇陛下は国と国民のために存在されていることは明らかであるが、さて、憲法に示された「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とは、あまりにも抽象的でよく分からない。これを家族に置き換えてみると、父親が家族のために無償で活動する役割を担っているのと同じだ。しかし、我々国民にはサラリーマンならば定年という制度があり、年を取ると家族の者が父親の健康などを忖度し、成長した子供たちが父親にとって代わる。ところが天皇陛下はどうか? 定年もなく、全て憲法と皇室典範という枠にはめられ、がんじがらめの状態だ。陛下には、憲法第14条の「法の下の平等」もなく、同第13条の「個人の尊重、幸福追求の権利」もなく、同第11条の「基本的人権の享有」もない、非常に奇妙でお気の毒なお立場にある。

 今回の天皇陛下のお言葉によって、色々な意見が出ているが、お言葉が政治的だというグループが存在することも確かである。でも私は、このお言葉は少しも政治的発言とは思わない。政治的という言葉が広義過ぎる。もっと狭義的な解釈をしなければ、人間天皇を否定することになる。天皇陛下は憲法の対象外とするのであれば兎も角、この程度の自由は当然享受されたらいい。むしろ、「すぐに検討するのは、このご発言が政治的なものと解釈されるから、少し時間をおいてからの方がいい」という意味の安倍首相の発言や二階自民党幹事長の発言は理解出来ない。

 ところで、最近気にかかることは‟日本会議”という得体の知れない組織が、密かにその勢力を拡大させていることだ。メディアも「触らぬ神に祟りなし」とばかりに、国民が知る権利を葬っているが、聞くところによれば極右団体ともいわれるし、新保守主義の台頭かも知れない。このグループには首相の安倍晋太郎も入っているとか、入っていないが心を寄せているとか噂されているが、いくつかの宗教団体が設立母体になっているらしい。もし本当ならば、わが国の行く末が憂慮される。一日も早く、メディアが公表すべきだ。知っていて国民に知らせないとは、メディアの資格は無い。

 最後に蛇足ながら、私が中学生の頃、日本国は「ニホンコク」と習ったが、最近は「ニッポンコク」という人が多く気になっていた。ところが、先日のお言葉で、天皇陛下は「ニホンコク」、「ニホン」と発言されたので、わが意を得たりという気持ちになった。

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