2018年12月12日 (水)

憲法を改正するには?

 憲法改正論議が、自民党中心に高まっている。それも憲法を最も大事にしていかなければならない義務を持つ(憲法第99条)内閣総理大臣の安倍晋三が「次期国会で改正する」と明言している。 私は現行憲法を、素晴らしい憲法だとは思っているが、しかし現状と大きくかけ離れている条項もあり「やむを得ない」という思いになりつつある。

 憲法第9条には「武力行使は永久に放棄する。陸海空軍その他の戦力は保持せず、交戦権は認めない」とハッキリ書いてあるのに、わが国を守ってくれている自衛隊は存在しないことになっている。これを解釈で合憲とするには無理がある。その点では、自民党の作成した「日本国憲法改正草案」(起草委員会委員長:中谷元氏)は良く出来ている。

 第15条は公務員についての規定であるが「①公務員を選定し、罷免することは、国民固有の権利である」と書いてある。そもそも憲法は、国民一人ひとりが理解できない、あるいは誤解するような文言を用いるべきではない。一般に公務員と言うと役所に勤める役人と思ってしまう。しかし、我々一般国民が役人を選んだり、罷免をすることは出来ない。ところが第2項には「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部のの奉仕者ではない」とある。 すなわち、第1項の公務員は、‟すべて”という文言がないから国会議員から首長を指し、第2項は第1項の公務員と我々のいう国家公務員と地方公務員を指しているのだろう。 もし憲法を改正するのであれば、この点をはっきり区別して、国民が理解しやすい文言にしてほしい。

 第41条は「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関」であるにも関わらず、実際に国会議員が作成した法律は15%前後でしかない。残りの約85%前後は、官僚が作った法案(閣法)を「賛成!、反対!」と騒いでいるに過ぎない。こういう連中に莫大な税金を投じるには大反対である。これでは、行政と司法だけで、憲法の示す三権分立などは存在しないことになる。 こうした現象は、第65条の「行政権は内閣に属する」、第72条の「内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し・・・」、これを受けて内閣法第5条は「総理大臣は、内閣を代表して内閣提出の法律案、予算その他の議案を国会に提出し…(以下略)…」が根源となっている。立法の比率を議員立法85%、閣法15%と逆転させなければ、立法府と呼ぶには相応しくない。

 最後に、今年の夏はこれまで経験しなかった猛烈な台風がわが国を襲った。ところが気象庁は「沖縄は島だから沖縄直撃でも、日本上陸にはならない」そうだ。 大体、日本は島国である。これまで沖縄県民は、日米安保の中心基地として色々ご苦労されていることは、東京にいる我々も充分理解している。それを、内閣の一員である気象庁は、沖縄県を日本に含まれないと理解出来る発言をした。沖縄県民は踏んだり蹴ったりだ。もし、「沖縄県が独立する」と言い出したら政府はどうするのか? 第22条には「何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない」とある。この条文は個人のことを指しているのだろうが、憲法には独立については触れていない。この点、どのように理解したらいいのだろうか?

 以上は、ほんの一部分を指摘しただけだが、改定部分が複数の場合「AとBは賛成だがCとDは反対」という場合はどうするのだろうか? いつものような国会論議がいい加減だと国民は混乱するばかりだから、憲法改定に対し国会議員は真剣に取り組んでほしい。 いずれにしても、基本的人権、三権分立をなおざりにすることのないような憲法を望むものである。

2018年12月 6日 (木)

憲法違反になるが、解せないこと

 以前から「これはおかしい!、こんなことが許されていいのか?」と思うと同時に、「私の考え方は、明らかに憲法に違反している」と二つの相反する考え方が存在する場合、皆さんはどうお考えか?

 それは検事が検察庁を辞めて、民間人になり、昨日まで悪を追及していた人間が、今日からは悪を弁護する弁護士になるという事が、ご自分の生き方に正当性を付与し、あっけらかんとして弁護人を務められるのだろうか。 正直言って、どのくらいの人が検事からいわゆるヤメ検といわれる弁護士に鞍替えしているのかは知らない。検事に比べて弁護士の収入に大きな差があるとも思えない。でも、テレビのワイドショーなどを見ていると、出演している弁護士にヤメ検が多いのも確かだ。 検事の知り合いはいないので、仕事ぶりはTVのドラマなどでしか分からないが、机を叩きながら被疑者を追い詰めるという場面しか知らない。

 憲法には「職業選択の自由」(第22条)、「法の下の平等」(第14条)、「基本的人権」(第97条)が規定されている。 この憲法の条文は、素晴らしい条文で、私は反対するつもりはない。 しかし、私の胸の中には、時間的な差があるにしても「利益相反」、「二律背反」的な感情を拭えない。

 例えば、日産のカルロス・ゴーンの仕草は、フランスでは許される(?)としても、わが国では絶対許されるものではない。 この事件には確かヤメ検の弁護人が就任したが、どういう気持ちで就任したのだろうか?彼の気持ちを聞いてみたいものだ。ただカネ目当てなのか?

 もうひとつの例は「東名高速のあおり運転」の弁護人の態度。この事件の弁護人は「被告は無罪。危険運転致死傷罪は車が止まっているので同罪は適用できず無罪」だそうだ。彼がヤメ検かどうかは知らないが、全て法律に携わる人間は、立法の精神、理念を理解出来なければ去るべきだ。 危険運転の解釈の問題ではなく、当該行為全体をみて採決すべきだろう。この弁護人は、重箱の隅をほじくっていい気になっているだろうが、こういう態度こそ大反省を求めたい。 この弁護士は憲法を学びなおしたほうがいい。 特に第12条「憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。また国民は、これを濫用してはならず、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」とあり、第97条では「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に耐え、現在及び将来の国民に対し、侵すことの出来ない永久の権利として信託されたものである」とある。この第12条、第97条の「国民」は、我々一般国民のみならず、司法に携わる人々にも要求しているのだ。罪刑法定主義には、「危険行為をしてはならない」ことを規定したもので、もしこれを否定するのであれば、犯人と二人で高速道路の中央に1時間でもいいから立ってみればよい。

 最後に、話は少し横道にそれるが、国会議員も5年以上在職し、法務大臣の認定を受けた者に弁護士資格を付与されるそうだ。お手盛りもいいところだ。国会議員の立法率は2割にも達していないのに・・・・

2018年11月14日 (水)

国会議員は気楽な稼業ときたもんだ!

 わが国の政治に携わる人間は、本業の政治は横に置いて、金儲けに励んでいるように見えてならない。 議長ひとり選ぶのに投票を99回もやり直し、それだけで歳費を貰っている町会議員たち。上がいい加減だから、下も真似している。 その見本が「片山さつき」と「桜田義孝」だ。 前者は政治資金収支報告書違反と公職選挙法違反の疑惑。それもバレると訂正とこれまで3回も。ということは「見つからなければよい」ということなのか?

 とりわけ片山さつきの場合は悪質だ。元大蔵省出身であり、税金という名目で我々からおカネを巻き上げる省庁にいただけに、国民の彼女に対する憤りは大きいものがある。収支報告書への記入は、秘書か事務員が収入はプラス、支出はマイナスする単純作業だと思うが、まさか彼らが出来ないとは思えない。「秘書の引継ぎがうまく出来ていなかった」と弁解をしているが、まさか秘書や事務員のベースで決められることではない。 記入するかしないかは絶対大臣の命令あるいは指示で行われたはずだ。もし彼らが勝手に決めているのであれば、あの片山が黙っている筈がない。彼女は、どうすれば誤魔化せるか、細かなところまで知っているはずだ。現段階では未だ疑惑なのかもしれないが、国民から見れば犯罪である。また、最近では「平井内閣特命大臣」が宛名や使途不明の領収書を沢山所有していたとして問題になっている。困ったものだ。

 桜田義孝五輪相兼サイバーセキュリティ相については、大臣は勿論のこと国会議員の資格すらない。国民の恥である。国会答弁の答弁資料を官僚が残業をしながら作成したのに、野党から質問にどこに書いてあるかわからないし、教えてもらって読んでも誤読するあり様だ。折角大臣と言う大役を仰せつかったのに、勉強したという気配は微塵も感じられない。きっと、大臣就任祝いで毎日忙しかったのだろう。それにしても、安倍首相は何を基準にして任命しているのだろうか? 国民をバカにしていると、任期途中で退陣という結果が待っていそうだ。

2018年11月10日 (土)

政治家と日米のメディア

 「政治家が潤う一方で、国民は生活に喘いでいる」と言ったのは、2年前米国大統領に就任したドナルド・トランプである。 あの大金持ちの発言には相応しくなかったが、その発言自体は正しかった。

 米国のメディアは、政治家の悪事を徹底的に暴くが、わが国のマスメディアは、知っているくせに口を噤んでいる。暴くのは主として週刊誌だ。その悪事が暴かれた後に、テレビや新聞などのマスメディアが追随する。まるで役割分担が決まっているようだ。 それに比べると、トランプ大統領との質問に、一歩も退かなかったCNNの担当記者の肝の据わった態度を見ると、日本の記者は大いに見習うべきだ。それも「Fake News!」と言われながら2年間も追及している根性だ。わが国のメディアや記者たちはいい加減にぬるま湯体質から脱皮すべきだ。

 どうしても腑に落ちないというか、おかしなことがある。初めて閣僚になると、必ず法律違反やスキャンダルが発覚する。それも直近のことだけではなく、随分昔のことまでもだ。もし、閣僚就任までストックされているのであれば、メディアとしての責任を放棄しているのに等しい。何故なら、メディアの役割りのひとつは、立法、行政、司法の違反行為やスキャンダルを監視し、国民に知らせることが存在理由であるはずだからだ。

 今回の米国中間選挙の結果を見ると、下院議員のメンバーがかなり替わったそうだ。NYでは、1年前までウエイトレスをしていた29歳の女性が、史上最年少で当選を果たし、民主党政権実現の暁には、有力な副大統領候補になると噂されている。日本では考えられないことだ。 わが国の議員は、国会議員から村会議員まで家業として議員業をしているケースが多い。現職議員が亡くなったら、後任には必ず家族や親族がなる。 だから事務所の秘書や事務員はクビにならずに済む。庶民にとって羨ましい限りだ。

2018年10月21日 (日)

安全神話は消えた

 「KYBって何だ?」と思ったら、自動車部品メーカーの萱場工業が社名変更したのだそうだ。いつの間にか構造物の免震・制震装置のトップメーカーになっている。そのトップメーカーが、国の定めた基準を無視し、ほぼ開発当初から基準に満たない欠陥商品を平然と納入していたのだ。 8月に内部告発があったにも拘わらず、10月まで欠陥商品を製造し納入したのだろうか?

 何故、国土交通省は即刻業者への立ち入り検査や刑事訴追を提起しなかったのか?国が基準を決めたのであれば、基準を平然と無視した業者の言い訳を聞く前に、国交省自らがいきさつを調査する義務がある。

 振り返ってみると、こうした不祥事は、銀行の不良債権が発覚した頃からおかしくなってきた。薄ら覚えで申し訳ないが、最近の品質管理に関する不祥事は、東洋ゴム、旭化成、三菱マテリアル、神戸製鋼、自動車メーカー等々、一流メーカーばかり。経団連銘柄だ。何故、こういう状態になってしまうのか?自分なりに考えてみた。

 敗戦直後の日本製品「Made in Japan」は、安物で品質が悪いという代名詞だった。そこで大企業は「品質管理!品質管理!品質管理の出来ていない業者からは部品を納入させない」という方針になり、世界的に有名な品質管理の「デミング賞」獲得に必死になったものだ。 デミング賞を獲得した企業は新聞記事になるし、「デミング賞獲得しました」と大きく新聞広告を出すことも出来、それがステイタスのひとつとなっていた。役所も当然賛成していたはずだ。

 いま、官僚で当時のことを覚えている人は、ほとんどいないだろう。 企業の第一目標は品質管理から利益優先になってしまった。利益優先主義は、必ずどこかで行き詰まる。こうした場合、企業のトップが知らないはずがない。品質を下げればその分利益は上がる。うがった見方をすると、役人の一部はある程度了承していた可能性もあるだろう。

 上が悪いと下は上の真似をする。その代表的なのが安倍晋三だ。モリ・カケ問題も解決せず、部下にウソの報告させた。委員会はヤジの応酬。こうしたやり取りを、子供たちがTVで見ていたらどう思うだろうか? だから学校に行っても先生の授業を聞かず、言うことも聞かない。首相や国会議員は国民の手本となるべきなのに、安倍は委員会のでのヤジを肯定した。こんな奴らが、わが国の首相とは恥ずかしい。もし、委員会を聞きに行った国民がヤジったら、即退場だそうだ。 財務省、文科省をはじめ、官僚たちも守るべきことを何もしていない。 今回、新しい閣僚が決まったが、早くも二人、大臣の資格のカケラもない人間が就任している。 いつも適材適所とは言うが、首相はその意味を知っているのだろうか?

 子が親の背中を見て育つように、企業も政治家や官僚の行動をなぞっているように見える。これからも、企業の不祥事が次から次へと顕在化してくるだろう。 わが国は、政治も行政も企業も堕落してしまった。 これほど「Made in Japan」の信頼性を毀損させ、われわれ国民をがっかりさせた事件はない。これはミスというより犯罪である。

2018年10月18日 (木)

自民党は違憲政党?

 憲法を読んでいて「オヤッ?」と思った。憲法第98条および第99条には「憲法は、国の最高法規で、天皇、摂政、国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」とある。ならば、安倍晋三の言う「憲法を改正する」と公言するのは、明らかに憲法違反ではないのか? 安倍首相は、今上陛下一家を除けば、国民のトップにいる人間であり、総理大臣であり国会議員であるにも関わらず、「憲法を尊重し擁護する義務を負う」ことを無視するということは、「一般国民も無視をしてもいい」ということになってしまう。

 よく安倍首相は、「憲法改正は自民党立党の原点である」というようなことをいう。また、自民党の党員も「米国から押し付けられた憲法だ」という。 現行憲法制定まで色々あったが、現行憲法は「まぎれもなく国民の総意に基づいて、吉田茂内閣のもと、わが国の国会議員により制定された」ものである。 私も中学校1年生の時に憲法という授業を受け、「素晴らしい憲法だ」という思いがある。その後、高校、大学(法学部)で憲法という授業を受けたことがない。

 ところで、本題に入るが、1955年(昭和30年)に自民党が設立されたが、党の政綱に「現行憲法の自主的改正」を、2010年(平成22年)には「自主憲法を党是}としている。このように、「現行憲法を否定する政党が、わが国の公認政党として認められてもいいのか?」という疑問である。憲法を素直に読めば、「自民党は違憲政党」になる。 わが国には、「法制局」が内閣、衆院、参院と3局もある。3局とも見落としたのか、それとも何か抜け道があるのか、知っている人は是非教えて貰いたい。

 私の憲法に対する考え方は、「憲法改定」である。「改正」ではない。そして憲法は解釈で曲げては絶対ダメだ。その理念を大事に尊重し擁護しなくてはならない。 憲法を替えようとすると必ず第9条が問題になる。私は第9条には「自衛隊と戦力保持」を明記することには賛成である。ただ、そのための目的をどこまで制限するか、あるいは出来るかは答えが出ていない。 あとひとつ付け加えたいことは、第96条で「憲法の改正は、各議院の総議員数の3分の2以上の賛成で、国会がこれを発議」という現行憲法を、自民党案では「議員の過半数の賛成で国会が議決」としているが、こんな虫のいい話はない。 憲法は、民間でいえば会社の「定款の変更」と同じで、商法では「3分の2以上に当たる多数を以てこれを為す」としている。民間では常識になっているのに、国会ではその努力も出来ないのだろうか?

 今年から来年にかけて憲法問題が大きな課題となるだろうが、色々とすばらしい現行憲法であっても、分からないところ、おかしなところが散見されるので、今後も指摘していきたい。

 

2018年10月16日 (火)

日本は民主主義を放棄したのか?

 最近のわが国は、国民が知らぬ間に民主主義の根幹である「主権在民」が政府や官僚に奪われてしまったようだ。 「三権分立」も死語になった。それでは、主権はどこに行ってしまったのか? 主権在民という言葉の陰で、実際には「主権官僚」の世界だった。

 そして、最近では安倍晋三総理大臣閣下が主権を独り占めしている。 肝心の司法の代表である最高裁判所ですら、総理大臣閣下の顔色を窺っている。この構図は、まるで第二次世界大戦前の状況と似ている。

 戦争を経験したことがなく、その悲惨さも知らぬ人がわが国のリーダーとは心細い。国民の代表と偉そうにしている国会議員も、誰も批判をしない。総裁選挙の時に石破氏だけが声を上げた。野党は何をしているのか? 立憲民主党と国民民主党とどこがどう違うのか、私にはサッパリ分からない。存在理由すらない。

 メディアのあり様もソックリ。戦前のメディアは軍部にべったり。軍部の広報部の役割りしかしてこなかった。 でも、戦前・戦中は軍部を批判しようものなら非国民として刑務所に入れられてしまうから、当時の状況としてある程度理解できる。 ところが現在でも戦前と同じようなもので、批判精神は形だけだ。

 そもそも民主主義は、独裁主義や共産主義、全体主義に比べて、非常に時間がかかる。ひとつの問題や課題に対し、国民に詳しく説明することから入る。すなわち、情報公開(disclosure)と説明責任(accountability)は必須条件だ。どちらが欠けても民主主義の精神に悖(もと)る。ましてや反対論者には丁寧な説明が必要だろう。 ところが、最近は出来るだけ説明や議論を避け、数の理論に持ち込もうとする安倍政権の手法は、民主主義とは大きくかけ離れている。

 もし、海外のように極右や極左の新しい野党が政権を獲って、同じような手法やそれ以上の方法で政治をされたら、わが国は戦前の独裁国家に逆戻りしてしまうのか? 共産国家や中東諸国、アフリカなどの悲惨な国民が存在していることを、政治家や官僚は横眼で見ながら無視し、国民から主権を取り上げたことが許せない。

2018年9月26日 (水)

ブログ再開について

 ブログを再開することにした。年を取るにつれ物忘れがひどすぎる。ボキャブラリイ(Vocabulary:語彙)や人の名前は勿論、普通の単語すら出てこない。その悪化の速度が速い。このまま放置しておくと、来年までに痴呆症になる恐れが非常に高いと感じたからだ。

  ブログを書き出したのは、私の弟が脳神経外科の医者(現在はリタイアしているが)で、「老人は運動するより、頭を使えば血管が丈夫になり健康的だ」とアドバイスを受けたからだ。

 これまで、2011年3月1日から2013年11月22日が第1回目。それから2年弱お休みを頂いて、2015年9月12日から2016年10月27日までが第2回目、今回再開すると3回目になる。ただ、ことしで満83才になり、持病の肺気腫が悪化しているので、いつまで続くか分からないが、政治や憲法問題について、出来うる限り私の考え方を、ご披露していきたい。

2016年10月27日 (木)

憲法問題は前文こそ重要

 太平洋戦争に敗れてから71年、太平洋戦争を始めてからは74年経過した。いま74歳以下の人は、全く戦争を知らない人たちという事になる。現在、75歳以上の国会議員何人いるのだろうか? 戦争を知らない、戦争を体験したことも無い国会議員がほとんどだろう。そういった国会議員が「軽々に憲法問題を論議してもよいのだろうか?」という疑問が湧いた。私は、憲法改定には賛成だ。しかし、改正とは俄かに賛成しかねる。

 自民党は、かねてより「マッカーサーGHQに押し付けられた憲法だ」と言ってはいたが、長い間なぜか放置し続けていた。当時、野党になった自民党は、よほど暇だったのか「日本国憲法改正草案」なるものを出してきた。

 改憲議論の中心は、やはり第9条なのだろう。その他、誰の差し金か知らないが、立憲主義に反するような国民の義務を忍び込ませている。それにしても、事あるごとに「占領軍の手によって作られた」と言うから、「大幅に変えたのか?」と思ったら、現代仮名遣いに直したのを除けば、殆ど同じなのはどうしてなのか、疑問に思う。報道によれば、この自民党改憲草案は棚上げになったと聞くが「いつの間にか棚から落ちていた」とも限らないから注意が必要だ。

 改憲論議は、与野党対立の構図になっているが、そもそも与野党を超えた議論であるべきことは言うまでも無い。ともすると、議論の中心は第9条になると思うが、私はそれにも増して重要なのは‟憲法前文”だと思う。この前文こそ憲法の理念を説いているものである。事実、自民党の草案も、本文というか条文は殆どそのままだが、前文は現行のものから一新され、理念はガラリと異なったものになっている。以下に、現行の前文と自民党草案の前文の概略を比較してみる。

 現行の前文は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」とある。すなわちわが国の憲法は主権在民が根本で、政府に主権はないことをハッキリ示している。対して自民党草案は「国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される」とある。一応、国民主権の下とは書いてあるが、主語は立法、行政、司法のようだ。しかも、三権に基づいて統治されるのは国民ではないか。統治されるとは三権によって国民が支配されるとも読み取れるから、戦前の統治機構に逆戻りである。

さらに現行草案は「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」とある。すなわち、国政は国民の信託によって行われ、福利は三権ではなく国民が享受する。そして、これに反する一切の憲法、法令などは認めないとする、国民にとって極めて重要な文言である。これに対して自民党草案は、三権を縛るような文言を一切排除している。すなわち「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」という。これを読むと当然のような気もするが、いつの間にか三権の義務が抜け落ち、国民の義務に代わっている。ここに自民党の狡賢さが垣間見える。特に「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り…」とあるが意味不明だ。誇りと気概で国や郷土を国民に守れというのだろうか。

 憲法改定は三つのことを守って欲しい。第一は、立憲主義を貫くこと。第二は、「新しい判断、新しい解釈」と言われないような緻密な条文にすること。間違っても内閣法制局長官などに解釈を求めることの無いように、誰が読んでも納得のいく条文であるべきだ。第三に、第9条の改定については、これからのわが国の行く末を決める重要な問題であるだけに、若い人の意見も取り入れて貰いたい。

 私は、敗戦時10歳。集団疎開で焼夷弾の空襲を受け、物凄く怖い思いをしたことを今でもハッキリと覚えている。「戦争を知らずして平和を語れない」とは言うものの、実際に改憲論議をする人は殆どが戦争を知らない人なので、正直なところ一抹の不安がある。安倍自民党も、姑息な手段を取らずに、国民的議論を巻き起こすように期待したい。

 さて、私事で恐縮ですが、このところ健康面ですぐれず、しばらくの間休稿したいと思います。ただ、身体の具合がいい時で、何かを書きたい意欲が湧いたならばブログの更新をしたいと思います。ありがとうございました。

 

2016年10月11日 (火)

いまこそ異次元の預金金利大幅引上げを

 株価だけは無条件に高い方がいい。何故なら、年金が株式頼みになってしまったからだ。年金の株式運用が増え、5兆円超の赤字が出ても、運用機構の幹部たちは責任も取らず、高額の報酬を減らすこともしないでいる。安倍政権では、成果主義、実績主義で報酬を決めようとしていたのではないか? 我々国民は、ただ指をくわえて見ているしかない。国民に、これに対する対抗策はない。

 異次元と称して為替市場に大量の資金を放出し、株式市場では大量の株式(ETFなどの投資信託)を買い付けている。市場価格があるものを、人為的に操作することは法令違反であり、厳に慎まなければならない。それを安倍政権なら許されることではあるまい。閣僚も金融庁も、法令違反を指摘したということは聞かない。

 そうは言うものの、現在の株価は、為替操作による円安誘導と、大引け前のETF買いによって支えられているので、年金生活者が声を大にして反対しにくい。

 安倍首相は、盛んに「アベノミクスが着々と成果を上げている」と力説している。しかし、彼が本当に経済を知っているのか?という疑問が湧く。景気は‟気”だから、国民に景気が良くなるという実感が無くても、景気が良くなるという‟予感”を与えてくれればよい。安倍首相や黒田日銀総裁がいくら「景気は着実に回復しつつある」と言われても、国民は額面通り受け止める訳がない。そんなに国民は甘くない。キチント現実を見つめているし、思惑通りにはいかない。

 大体、物価の2%上昇を多くの国民が望んでいるのだろうか? 老人も若者も「物価は安い方がいい」という人間も多い。円安も輸出大企業は歓迎だが、輸入業者や個人は安く物が買えなくなると反対だ。

 マイナス金利と聞いて国民はどう思うか? ポジティブ思考にはなれない。完全にネガティブ思考だろう。これも景気の‟気”を冷やしている。もし異次元と言うのであれば、日銀にマイナス分を吸い上げられるより、預金金利だけを大幅に引き上げれば、景気低迷からボトムアップ出来るだろう。国民には意味不明のマイナス金利やアベノミクスより、もっと分り易い金融政策を期待したいものだ。

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