2012年5月22日 (火)

身を削るのは国民から

 久し振りに国会の特別委員会を見た。何ら感慨もない。こんなバカな奴らが国を動かしているのかと思うと、バカバカしくなる。全く民主的ではない民主党、自由も民主もない自民党、創価学会と公明党の関係が公明正大ではない公明党、支持率0.0%の国民新党、みんなを名乗るなら支持率50%なければ名乗って欲しくないみんなの党。相変わらずだ。野田政権であるのに、質問者が「首相どうですか?」と質問しても、野田は黙っていて岡田が答えている。まるで岡田首相だ。たまに野田が答えても、禅問答みたいに意味不明と従来の回答の繰り返し。

 今回の特別委員会は、“社会保障と税の一体改革”が主題だったから、消費税問題が主体だったが、質問はこれまで聞いたことの繰り返し、回答は既に引き上げが決まっているような官僚答弁のようだ。いずれにせよ、与野党とも信用ならない。自公政権時代に“年金100年安心プラン”とかの法案を提出し、確か期限切れで廃案になったと思うが、いま思うと「あれは何だった?」のだろうか。もし、100年も年金が安心ならば、自公共同で再提出したらいい。結局は、自公も民主も財務省の言いなり政権だったのだ。

 まず国民から身を削って、政治家と官僚は高給取りだから、何とか2年間は我慢すれば元に戻るからということか。国会議員の特典である“無料パス”の廃止か費用負担を求められると「そんなことをされると国会議員をやっていられなくなる」と民主党の輿石幹事長が言ってのけたという。国民には犠牲を強いる癖に、自分たちの一度手にした権利は、幼児の様に駄々を捏ねて離そうとしない。これが、国民の代表の正体である。

 国民は、政治家が猛省し、一日も早く真面目でまともな人間に立ち直ってくれることを期待している。やはり代議士の人数が多すぎるのだろう。人が多いと、おかしな人間が紛れ込んでしまう。だから60人削減などとケチなことを言わず、思い切って半数以下にしないといけない。国会議員にウイルスが蔓延している。国会議員用のウイルスセキュリティは無いものか? それとも議事堂に入る前に、一人ひとり消毒剤か抗菌剤を浴びてから入ってもらうしかない。

2012年5月20日 (日)

一日も早く首相公選制に

 また罰が当たったようだ。昨日、階段から3段転げ落ち歩けなくなってしまった。娘は「医者に行け」と言うが、大ごとみたいで嫌だから自然治癒を選んだ。どうやらアキレス腱を痛めたようだ。2本の杖を使って歩いている。占いやジンクスの類いは全然信じていないが、悪口や批判のせいだとしても、これだけ色々続くと嫌になる。でも、懲りずに書き続けるつもりだ。

 瓦礫の処理さえ出来ない。政府や学者が「安全だ」と保証しているのにだ。国民は、政府、官僚や学者の言うことを全く信用出来ないのだ。こんなに不信感と不満が蔓延したことは、かつて無かったことだ。だから、何をやっても、何を言っても、誰がやっても信用されずリーダーシップが発揮されない。自業自得で完全な制度疲労だ。これまで、国会議員ならば解っていながら何も改善してこなかった、いわゆる不作為の請求書が送付されてきたようなものだ。

 現在の議会制民主主義は、“党利党略”と“私利私欲”を助長させただけで、優先順位の二番手が公務員、主権者たる国民が一番後回しだ。バカバカしくなる。敗戦から長期に亘っての自民党政治、そして政権交代後の民主党政治、どれを採っても政治の厭らしさをイヤと言うほど見せ付けられて、また「同じ制度で政治を任せてみよう」というお人好しはいない。

 政治評論家、政治学者、テレビのコメンテーター、肩書は色々だが、いずれもある枠組みに取り込まれたり、応援団であったり、カネが絡んでいたりしている。国民は二度と騙されるほどバカではないことを、政治家は胆に銘じるべきだ。大体、優れたオピニオンリーダーがいない。その中で、強いて挙げるとなると“橋下徹大阪市長”だ。そして彼の顧問役の経産省をクビになった古賀氏(失礼ながらお名前は忘れた)は優れたブレーンだと思う。しかし、二人を取り囲んでいる“大阪維新の会”とその他大勢の連中は分からない。ほとんどが“白アリ”の類いだろう。石原東京都知事も“東京維新の会”を作り、橋下氏と連携していくとの報道があった。「本当かな?」と率直に疑問がおきる。これでは、石原氏も“白アリ”の仲間入りになる。手法は同じでも、目的が違えば行く末は現在の民主党と同じになってしまう。

 この国民が永い間持ち続けていた“イライラ感”や“閉塞感”を、誰が解消させてくれるのだろうか? それには、国民が直接“総理大臣”を選べる“首相公選制”を一日も早く導入してもらいたいものだ。それには、現行の憲法の改正が必要だ。どこかのアホな国会議員が「現行の憲法の改正なしで出来る」と言っていたが、もう解釈次第でどうにでもなる憲法は御免である。公選制が導入されれば、我々国民が選んだという責任感も出て来るし、支えもする。現在は、与党内でのたらい回し人事で、国民が選んだという実感も無いし、責任感も無い。そうすれば、選ばれた首相は、民意を背景にリーダーシップも充分に発揮できるはずだし、日本が周辺諸国から笑い者にされることは無くなるだろう。

 

 

 

2012年5月19日 (土)

何もしない、何も出来ない!

 野田政権は「何もしない、何も出来ない!」内閣だ。党内融和と称し国民と向き合わないし、説明もしない。融和どころか崩壊の危機である。この前、中国と韓国の首脳との三カ国会談が行われた。ところが、胡錦濤国家主席と野田首相との会談は突如キャンセルされた。日本での“ウイグル会議”が行なわれたのが理由のようだが、「わが国は民主主義国家だから、どんな討議をしても誰も逮捕されない。それにわが国が会議を主導した訳ではない」と、どうしてはっきり言えないのか? それこそ、内政干渉だし、沈黙は国益を損なう行為である。その上、最近の中国の“覇権主義”(他国の領土や資源を狙って進出する)について、どうして批判や忠告しないのか? 

 天皇・皇后両陛下は、英国訪問の前に被災者へのお見舞いもされている。野田首相は、放射線被害で疎開されている人たちへの、思いやりや気遣いは全く見受けられない。天皇陛下も、ご自身のご健康問題を抱えられているのに、野田は丸々と太って健康そのものだ。英国エリザベス女王は、“戴冠式”で「私は国民に奉仕するために女王になった」と言われたそうだ。天皇陛下始め皇室ご一家も、国民に奉仕されていることをヒシヒシと感じる。対して野田はどうだ? 一度でも福島原発の現場に行って、一生懸命命がけで作業して人たちに声を掛けたことがあるか。国民にどう奉仕しているのか。被災者にも消費増税を行ない、あの悪夢となっている放射線の処理も解決策も出てこないのに、原発再稼働を行なうとしている。一体何様だ!

 国会議員の“身を削る覚悟”は、いつの間にか消えてしまった。どこに隠したのか? 違憲問題も、何時まで経っても解消されない。解決する能力が無いのだろう。能力の無い男に、何時までも政権を任せているのは犯罪だ。野田ばかりでなく、大臣にも無能や当事者能力の欠けている人間も多い。口は達者だが、実行力が無い。有言実行どころか、反対の事を平然と行なう大臣ども。政治主導どころか官僚主導政治が益々進む。組合の言う事は聞くが、国民の言う事には耳を貸さない。

 人間が制御出来ない原子力。安全が不安視されている時、米国では問題があると“改善命令”が発令されるのに、何故、日本では命令で無く、要請なのか? そして、その後のチェックさえも行われていない。福島原発も2006年には「津波被害の可能性がある」と警告されていたのに。何ひとつやろうとしない。米国は1,000社を超える電力会社があるという。日本は独占企業だ。その弊害を直そうともしない。

 わが国の財政が厳しい中で、国民には負担を求めるが、大臣どもは外国に行くと、何の権限があるのか知らないが、莫大の資金を供与し、大臣はニコニコ笑って記念写真に納まっている。腹立たしい限りだ。領土問題についても、解決に向けて動こうともしない。党内すら纏められない男に、日本を纏めさせようと言う方がおかしいのかも知れない。野田はG8に出席した。でも、日本語で朗読し、記念写真を撮って帰国するだけの首相なんて不要だし、無駄である。

2012年5月16日 (水)

電力会社の標準家庭

 去る5月14日、NHKのBS1で“世界ドキュメント”、「インサイドフクシマ・海外メディアが伝えた震災」という番組を見た。そこに菅前首相もコメントを寄せていた。これまで、菅前首相のことを批判してきたが、もし番組の内容が正しければ、これまでの福島原発事故についての発言について、謝らなくてはならない。菅前首相曰く、「東電より福島原発にベントの了承を求めてきたから了承した。にも拘らず一向にベントが行われない。理由も分からなかった。そこで福島にヘリコプターを飛ばして現地に行ったのだ」と。東電の勝俣会長は、国会で「菅前首相が福島に行ったことで、復旧作業に影響を与えた」と述べたそうだが、菅前首相は「福島の現場の惨状を見たら、原発は再稼働させる気持ちは無くなった」と述べている。私は「首相という立場よりも、人として正しい判断だった」と思っている。

 今朝(5月16日)テレビ朝日の“モーニングバード !”という番組を見た。そのお蔭で、これまでの疑問が解けた。結論から言うと東京電力という企業は、官僚より以上に狡賢い。これまでの疑問は、今回の電気料金約10%引き上げで、標準世帯で月470~80円ぐらい高くなるというもの。であるならば、現在の電気料金は1か月4,700~4,800円程度のはずだ。ところが、わが家は1か月2万円から高い月には4万円近くかかる。これが疑問点だった。ところが、この番組には、東京電力のお客様本部長の常務が出演していた。説明によると、標準世帯とは「夫婦2人で共稼ぎ、かつ30アンペアで契約している家庭」の事だそうだ。我々が知っている標準世帯あるいは標準家庭とは、「夫婦2人に子供2人、合計4人家族」を標準世帯と思っていた。大体、30アンペアの契約は標準ではないそうだ。30アンペアでは、すぐヒューズが飛んでしまい、どうやら我々が常識的に言う標準家庭は、50~60アンペアで契約しないと、通常の生活が出来ないそうだ。こういう基本的な事を我々顧客に知らせず、競争相手が居ないことをいいことにして「値上げ」を強行しようとし、担当大臣の枝野が了承するとは、どう考えても納得がいかない。

 公正取引委員会は何をしているのか? 独占禁止法はこういう時に発動しないでどうする。独禁法第21条に「この法律は鉄道、電気、瓦斯その他その性質上当然に独占となる事業には適用しない」と適用除外規定を設けている。でも、鉄道は独占ではないし、適用除外されている事業者が、多角化と称して多方面に事業展開しているのは立法府の不作為か行政の怠慢と言わざるを得ない。即刻、適用除外規定を削除すべきではないか。鉄道事業はまだ代替出来る私鉄やバス、車がある。ガス事業は、都市ガスだけではなく代替ガスがある。しかし電気事業だけは、東西のアンペアが異なるし、発送電独占事業で価格設定や標準世帯も自由自在に、しかも独禁法に抵触することなしに出来る。消費者大臣もいると思うが、何も発言せず、給料だけ受け取っているのか? こういう事を、我々民間では“給料泥棒”と言っている。

2012年5月15日 (火)

いつまで野田政権が続くのか?

 家庭用電力料金が10%値上げされるようだ。時間的に料金が異なり「利用者が工夫して使用すれば、これまでより有利になる」と東京電力は言う。バカじゃないか。全然、顧客目線に立っていない。まず電力会社が、色々工夫・節約し、合理化するところは、顧客から指摘される前に実施し、値上げより料金維持か顧客に迷惑をかけたのだから値下げを検討すべきではないか。大体“総括原価方式”とは何だ? 高い役職員の給料や、子会社・孫会社の経費まで算入しているそうだ。下手をすりゃ、地元への袖の下まで顧客が支払っているのだろうか。

 もし、一般の民間会社で、このような方式など通用するはずが無い。競争相手がいないから「無理が通れば道理が引っ込む」方式の、いうならば昔の悪代官が年貢米を巻き上げるような仕打ちが出来るのだろう。これでは、国民がコツコツ貯めてきた年金を、厚生省や厚労省が無駄遣いしたり、ハコ物を作っては二束三文で売り飛ばしたのと、どれだけ違うのか? ぎりぎり考えて実行した後、それでもなお料金維持が出来ない場合に、初めて現状をつぶさに説明し(政治家にではないぞ!)、伏してお願いすべきではないか。それを「値上げは、電力会社の義務であり、権利である」と言った。「義務である」と言ったのは言い間違いだと思うが、その発言は取り消していない。上目線のものの言い様だし、顧客を見下している。

 枝野も何を言っているのか分からない。菅政権の官房長官時代もいい加減だったが、通産相になっても、いい加減さに磨きがかかってきた。「原発の再稼働は認められない」と言ってみたり、別の場所では「原発の再稼働は止むを得ない」と言ったり、「料金の値上げは認められない」と言ったかと思うと、今度は「認める」そうだ。家庭用電力の値上げは、通産相の認可事項だ。こんな訳の分からない事を言う大臣が、やせ細る庶民を尻目に、ブクブク太り始めた。本来ならば、非常に神経を使い、大変なことを抱えて痩せるはずなのに、反対に太ってしまうのは、如何に大臣がおいしい仕事のようだ。枝野だけではなく、平野復興、鹿野農水、田中防衛、藤村官房、小宮山厚労、安住財務も太ってきた。野田政権はトップを始め、肥満政権だ。

 大臣だけではなく、国会議員全体に国民の信を問われている。ここで言う“信”とは、選挙ではなく、国会議員ひとりひとりの行動と発言だ。そして、立法府の一員として国民から選ばれたという自覚と責任である。国民に犠牲を強いる前に、「自ら身を削る」のはいつの間にか消えてしまった。国民の喜びそうな公約をし、当選したら目と口を瞑(つむ)り、課題を次から次へと変えていけば国民は忘れてしまうと思っているのだろうか。あれだけ増税反対を言っていた松原という議員も、大臣という餌をぶら下げられるとあっさり発言を変える。さらに「北朝鮮のキム政権が変わった今が拉致問題解決のチャンスだ」といういい加減な事を言う。こういう急変時には、新政権の回りを監視したり固めて、なるべく政権運営に齟齬(そご)の無いようにするのが常識なのに、平然と言ってのける精神がおかしい。

 国会議員の違憲問題の解決こそ、国民の誰もが反対しない問題だ。国会議員身内だけで解決できることなのに、それさえ手を付けられない野田政権の無能ぶりにはあきれるばかりだ。多額の政党助成金。日本が「いま大変な時だから返済しよう」という気持ちにはならないのか? こうなると、大嫌いな共産党が立派に見えてくる。だが、共産党が辞退した政党助成金が、辞退していない政党に分配されているとは、開いた口が塞がらない。フランスやギリシャ、ドイツの地方選挙でも与党が大敗した。それでも、野田政権には学習効果もない。野田政権は“松下政経塾”の同窓会政権であるが、いま松下幸之助翁がご存命なら、何とおっしゃるだろうか?

2012年5月14日 (月)

曖昧過ぎる領土問題

 よく中国が使う言葉、“核心的利益”とは何だ。日本語では、「物事の核心に迫る」というように使うが、尖閣諸島が「何故中国にとって核心的利益なのか?」政府からも、官僚からも、ミディアからも説明が無い。もうひとつ。“戦略的互恵関係”も分からない。“互恵”とは、お互いに恩恵や利益を享受したりすることで、心や精神の問題ではないか。それが、“戦略”となると、この二つの言葉が、どうしても結びつかない。非常に曖昧だし、国民に曖昧のままにしておいて良いとは思えない。

 曖昧と言えば、“領土問題”や従軍慰安婦問題”や“太平洋戦争の歴史問題”である。この曖昧さのままにしておき、その都度、いい加減な逃げ口上をしているのが政治家と官僚である。敗戦後、ずーっと「わが国に領土問題は存在しない」と言い続けてきた歴代政府と外務官僚。中国と尖閣諸島、韓国と竹島、ロシアと北方四島と、我々には領土問題があると承知している。

 もし、これらが全てわが国の領土だと言うのであれば、どうして国民が尖閣諸島に行けないのか、竹島に行けないのか、北方四島に行けないのだろうか。竹島はすでに韓国が建造物を設置し、軍隊まで送り込んでいる。中国は尖閣諸島近辺まで軍艦や漁船でさえも排他的経済水域を侵している。産業界も、あまり中国に傾倒するとその反動リスクはとんでもなく大きなものとなって跳ね返ってくるから、一刻も早く共産主義国家から撤退し、アジアの民主主義国家にソースを変えるべきだと思う。中国に対し、政治も経済も卑屈になり過ぎている。

 一方、ロシアと日本はまだ平和条約が締結されていない。北方四島は未だにロシアの占領状態から解放されていないのだ。従って、「四島はわが国のものだから、ビザを取って北方四島を訪問するのは自粛すべきだ」と政府や外務省の言うのは間違っている。わが国の敗戦記念日は1945年8月15日であるが、ロシアの終戦は8月15日より4~5日遅かったはずだ。これがロシアの汚さを証明しているが、何しろわが国は“無条件降伏”してしまったのだから、今更問題視しても仕方の無いことだろう。

 それより、折角プーチン大統領が、「歯舞、色丹両島返還のの用意がある。四島問題は、引き分け、誰も勝たない、誰も負けないことが重要だ」と発言した。これは、賢者の判断だ。条約がまだ結ばれていないのだから、ロシアは日本に縛られることは無い。悪いのは、そのまま放置して国民を騙し続けてきた歴代政府と外務省ではないか。

 この問題に対し、野田首相は「歯舞と色丹では面積で7%で、残り93%が来ないから決められない」そうだ。でも、このままだと永久にわが国には返還されないだろう。ロシア人が生活しているし、実効支配しているのはわが国ではない。島の面積は7%でも、排他的経済水域はかなり拡がるはずだ。この3か国との領土問題は、厳然として存在する。

 ロシアとは一日も早く平和条約を締結し、中国と韓国との問題は、国連を通じてか、国際司法裁判所か知らないが、提訴を行ない、世界の人々に「わが国には領土問題が存在する」とはっきり宣言し、どちらの言い分が正しいか決めてもらった方が良いと思う。そして、主張すべきことは主張し、引くべきところは潔く認めた方が解決が早くなるはずだ。それと、この領土問題の背景には、歴史問題が存在しているはずだ。特に、わが国の国民も、明治以降の詳しい歴史、史実、事実を教えて来なかったはずだ。これには旧文部省(文部科学省)に大きな責任がある。歴史を再度検証し、その上、アジア諸国の皆さんにキチンと謝罪すべきだろう。だから、首相が代わる度に、アジア諸国に対して謝罪ばかりしているように見える。それも、官僚の書いた言葉ではなく、我々にも分かる心のこもった人としての言葉で謝罪すべきだろう。しかしながら中国には弱腰すぎるし卑屈である。ただ、中国の人々を日本が苦しめてきたことは事実である。さらに中国でお世話になったのは、敗戦当時の蒋介石総統と中共時代の周恩来氏だが、日本人はほとんど知られていない。こういうことは、日本人全体に歴史として知らせるべきだろう。

 

2012年5月13日 (日)

十人十色

 単なる坂道だと思っていた。何時まで経っても終わらない。それは山道だった。もう少し下がって全体を見渡すと、富士山だった。地球は地上にいるrと、山があり谷があり、建物があり、デコボコに見える。月も、火星も、太陽もそうだ。地球から見ると円に見える。でも宇宙からだと円球になる。立ち位置や見るアングルによって、同じものでも様々だ。

 人間も、白人、黒人、黄色人種などいて、食べたり、遊んだり、善い人・悪い人、学んだり、働いたり、その人々によって行動はマチマチだ。考え方もマチマチだ。内面的にも、心理的にも、肉体的にも人々は全て違うという。その通りだが、違いと同じとどちらが多いのだろうか。調べたことが無いから解らないが、きっと異なるものより同じものの方が多いだろう。十人十色と言うが、70億人といわれる人間が、十人十色まで凝縮あるいは分類することが出来れば大したものだ。1億3千万人の日本人を10分類出来ればすばらしい。こうして、多くの人々の意見を最大公約数にして、優先順位をつけて国民に示していくのが政治家の務めである。

 例えば、日本橋から東京駅に行く場合、どの様に行くか? 地下鉄かバスかタクシーか、それとも徒歩で行くか。同じ徒歩でも、道が渋滞しているから徒歩で行った方が早いと判断した人と、カネが無いから徒歩で行く人もいる。東京から広島まで行くにも、新幹線か、飛行機か、車を運転して行くのか、高速バスで行くか? 高所恐怖症の人や運転免許や車を持っていない人によって選択肢が違う。

 目下、政治家の課題は、1:東日本大震災の復興問題、2:原発再稼働か廃棄問題、3:消費税引き上げ問題、4:国民の1票の格差違憲問題、5:デフレ脱却問題の5つの問題に集約できよう。その道筋をきちんと説明し示すことが出来る人か、それとも自分の立場だけに囚われてしまうのか、国民はきちんと選別している。でも、それを理解せずにこの期に及んでも国民そっちのけの行動を採る政治家が如何に多いか、唖然とするばかりだ。

2012年5月12日 (土)

乖離する憲法(その4)

 憲法上疑問をもっているのは、第51条の「両議院の議員は、議院で行なった演説、討論又は表決について、院外で責任を問われない」という規定である。この条文には問題はない。しかし、現実論として立法府である国会が、「憲法に違反しているのではないか?」と思われることを何回も見ている。それは、“党議拘束”による違反によって、除名処分や党員資格停止処分されることは、この憲法の条文に違反しないのか? もし「しない}とするならば、どの様な解釈に基づくものなのか?

 そもそも国会議員は、国民によって選ばれたもので(私は思っていないが)、自ら“国民の代表”と何時も偉そうに言っているではないか。それが、他の地域から選ばれた国民の代表によって、除名や党員資格停止とは矛盾する行為である。自党の決めた方針に反対することは、並大抵の事ではないだろう。地元に帰って有権者の意見を反映させた行動かも知れない。

 条文にも「院内の表決を、院外で責任を問われない」と規定しているし、それこそ“主権在民”に反する行為ではないか。米国の国会のニュースで、党議拘束を行なったというのは見たことが無い。

 大体、わが国の国会は、犯罪行為をして起訴され、拘置所に収監されても議員の地位を剥奪もされないのに、議員という地位にあぐらをかき過ぎてはいないか? 我々から見ると、「党議拘束はカルテルや談合とどこが違うのか?」と思うほどだ。

 憲法の前文にも書いてあるように「国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者が行使し、その福利は国民が享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくもので、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」と書いてあるではないか。

 それを三権たる“立法府、行政府そして司法”が無視して良いのだろうか。もう一度、憲法から読み直し、各法の矛盾点、足りざる点を改正すべき時に来ているのではないか。憲法が現状と段々乖離し過ぎていることは、今後の国民生活にとって重要な問題である。但し、憲法改正に至っても、この当初の理念からは、決して逸脱してはならない。(乖離する憲法の項終わり)

2012年5月11日 (金)

乖離する憲法(その3) 国会と内閣

 憲法第41条は、「国会は国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」とハッキリ規定している。そして、第65条には「行政権は内閣に属する」とし、内閣が行政の上位に、行政は内閣の下位に位置するのである。すなわち、内閣は行政を統治し、行政から内閣が統治されてはならないのだ。しかし現実はどうか。我々国民が想像している閣議とは、民間で言う取締役会や役員会のようなもので、大臣が集まり、侃々諤々(かんかんがくがく)の議論を闘わすものだと思っていた。ところが現実は、会議をするのではなく、事務次官会議で決めたことをただ単に追認するにすぎず、大臣たちは「署名・連署すること」(第74条)だけだ。国民が想像していた会議とは、かなり異なっているし、単なる形骸化したサイン会である。

 そして第73条には「内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行なう」とあり、「1 法律を誠実に執行し、5 予算を作成し国会に提出し、6 この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること」(中間略)なのである。何が言いたいかというと、“唯一の立法機関である国会が法律を作り、内閣はその法律を誠実に執行するよう、行政に命令・監督する責任がある”と言いたいのである。内閣と行政の使命は、誠実に法律を執行すると憲法に規定されているのに、実際に法律を作成し、執行するのは、一般行政職たる官僚、すなわち“国家公務員の一般職”の人間である。これでは、二律背反というか利益相反と同じようなものではないか。

 これが官僚の狡賢いところで、“内閣法第5条”に「内閣総理大臣は、内閣を代表して内閣提出の“法律案”、予算その他の議案を国会に提出し、云々・・・」とある。これが官僚の作成する法律の根拠のようだ。でも憲法には「国会が国の唯一の立法機関」とし、第98条は「この憲法は、国の最高法規であって、その条文に反する法律、命令、国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」とある。だから、「行政権は内閣に属する」(第65条)といって、内閣総理大臣の命令で国家公務員の一般職(官僚)が、法律を立案したり作成したりするのは、憲法上大きな疑義が生じるのである。言うならば内閣法第5条は「憲法違反」と言わざるを得ないのである。だから、法律を作れない議員が多いし、口では「政治主導」と言いながら、何時までたっても官僚に頭が上がらない国会議員だらけなのだ。政治主導と言う前に、自ら反省し襟を正したらどうか?

2012年5月 9日 (水)

乖離する憲法 (その2)

 憲法第15条も理解不能だ。同条は「①公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。 ②すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。 ③公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。 ④すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問われない」と規定している。さて、問題は公務員の定義や適用範囲が不明確なことである。我々の常識で言えば“公務員”とは、国家公務員と地方公務員のことである。ところが、この条文の①では「公務員を選定したり罷免することは、国民固有の権利」とか、③には「公務員の選挙は普通選挙を保障する」とか、④には「選挙における投票の秘密は侵してはならなず、選挙人は、その選択に責任を問われない」とある。

 さて、これを読むと我々一般国民が理解している“公務員”と、憲法に規定している“公務員”の概念が異なっていることが分かる。これまで、我々が公務員を選んだり首にしたり、選挙したりした覚えが無いからだ。でも、憲法は“主権在民”を象徴したものであり、国民が普通に理解出来ない文言は変えるべきではないか。それでは、ひとつ問いたい。公務員とは何を指すのか? 易しく憲法に規定して欲しい。公務員には国家公務員と地方公務員に大別される。そして、国家も地方の公務員も、一般職と特別職に二分されている。一般職は特別職以外の公務員を指すそうだ。そして、特別職だけ掲げてある。国家公務員の特別職の筆頭に掲げてあるのは、内閣総理大臣で次に国務大臣と続いている。地方公務員も知事や地方議員たちだ。ところが、“国家公務員法”や“地方公務員法”に規定している一般職を憲法第15条のように国民が選定したり罷免することは出来ない。それでは、特別職はどうか? 「内閣総理大臣を国民が選んだ」という感覚はない。理屈はどうにでもつけられるが、庶民感覚では無い。国務大臣の選定は、「内閣総理大臣の専権事項だ」といつも言われる。

 このような狭い範囲での“公務員の位置付け”は、国民の誤解を招くからきちんと整備した方が良い。さらに指摘すれば、国家公務員法も地方公務員法も、この法律の規定は一般職だけで、特別職には「これを適用しない」とある。何が何やらサッパリ理解出来なくなる。だから、憲法第17条の「何人も、公務員の不法行為により、損害をうけたときは、その賠償を求めることができる」と規定しているが、肝心の“憲法の公務員”の規定が曖昧だから、どの公務員まで適用範囲なのか解らない。例えば、今回の原発事故の責任は、どの程度まで遡及することが出来るのか? 当時の首相や担当大臣、さらには一般職である行政の人間の範囲など、どこまで責任を問うことが出来るのか? 曖昧模糊としており、またしても国民は官僚に言いくるめられてしまうのだろうか? ( 以下次号に )

«乖離する憲法 (その1)

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